「楽譜をつくるひと」201602

早川由章さん(楽譜出版社の編集者)

204号早川

30年後に、震災を知らない子どもたちがこの曲をダイスキな歌として歌ってくれてたら嬉しいなあ。教科書で震災のことを知るんじゃなくて、歌ってみて、その歌が何故生まれたかを知るなら、それはとてもリアリティのある形で「震災の記憶を伝えること」になるんじゃないか?と思ったんです。

 

著作権問題を考えるうえで、「音楽を生活の糧とするひとびと」のこともちょっと知ってみたい、という不定期連載「オンガクノシゴト図鑑」。前回は手始めに東京都合唱祭をモデルとして「コンサートホールの仕事」をみてきましたが、いよいよ今回からは本格的な特集。音楽にかかわるプロフェッショナルにお話を伺います。

まずは私たちにとっては無くてはならない「楽譜」をつくる人。河合楽器製作所の楽譜出版部門「カワイ出版」で編集者を務める早川由章さんです。

 

楽譜ができるまで

作曲家が書いた楽譜が印刷楽譜になるまでの仕事の流れを教えてください。

 

カワイの場合、最初から最後、つまり出版の企画段階から始まって、印刷が刷り上がって会社の倉庫に納品されたのを確認し、営業・販売へ引き継ぐまで、一冊の楽譜はすべて一人の編集者が担当するシステムになっています。作曲者から楽譜の原稿を受け取ってからの流れを整理すると、ざっとこんな感じです。

 

①作曲家から楽譜の原稿(手書き、もしくは電子データ)を受け取る。

②割り付け(レイアウト)の検討。「見やすい楽譜づくり」のために、1ページのなかにどういうレイアウトで楽譜を収めるか検討。見やすさについては、会社によってガイドラインはあるんですが、編集者の個性が出るところでもあります。また、この作業と並行して作曲者の記譜の間違いや記号の不足などもチェックします。

③割り付けの結果、総ページ数がわかるので、印刷製本代その他原価計算をし、定価をいくらにするか検討します。

④詩人に対する、出版に関わる著作権上の手続きをします。

⑤表紙のデザインの検討。カワイの場合、企画もの、編曲ものは特別デザインにしていて、その場合はデザイナーに3案ぐらいのラフな案を提出してもらい、作曲者や営業も交えて選定しています。

⑥割り付けができた楽譜を「浄書屋」さんへ渡す。楽譜の浄書という仕事は、とても専門的で特殊なデザイナーです。昔は手書きでしたが今はコンピューターで作っています。

⑦校正。間違いチェックだけでなく、楽譜全体でのバランスや表記の統一、改行・改ページの位置をもう一度チェック。音楽的な流れを妨げないように、例えば譜メクリを少なくしたり、見開きで曲が収まるように調整したり、繰り返しもわかりやすく、など、歌い手やピアニストにとって、ぱっと楽譜を見たとき、迷わないことが基本です。試し刷りにしてみてはじめてわかる問題点もあるんですよ。

⑧前書き、目次、奥付、巻末の原詩などのチェック。

⑨社内校閲。担当者1人ではどうしても思い入れ、思い込みがありすぎて、見落とすこともあるので第三者の視点によるチェックは重要です。

 

「演奏者が迷わない」というのが楽譜の編集ならではですね。しかし、作曲家から作品を受け取る以前にも重要な仕事が。。。

 

そのとおりです。例えば新作初演の演奏会を聴きに行く、あるいは作曲者からの楽譜、音源の持ち込みもあるのですが、「これはいいな!」と思うものに当たる。それを社の編集会議(編集部員全員)に諮って評価を合議します。内容は秘密ですが(笑)評価シートがあって、非常に細かく評価事項があります。で、その結果ゴーサインが出た作品について、次の段階として、営業も入って出版部数や販売促進の企画を検討する訳です。

 

作曲家の運命を握る「編集会議」ですね。ところで編集者になるにはどんな勉強が必要なんですか?。

 

まあ、音楽的な知識はあるにこしたことはありません。細かい人はむいてます(笑)。あとは、自分の感覚をもつことでしょうか。一般的には、楽譜の編集者は、ほとんど音楽大学出身者で、専攻は器楽、声楽、楽理などさまざまです。カワイでいうと、一般大学出身は私を含めて2人だけです。私の場合、文学部の史学科出身。ちなみに卒論テーマは「中世日本における穢れの研究」でした。

 

異色の学歴ですね。なぜ今の仕事を選ばれたんでしょう。そもそも合唱音楽との出会いって?

 

オケといっしょに歌いたい!

中学の時に変声で声が低くなったのです。それで音楽の先生が合唱してみないかと。嫌でしたねえ。たまたま初めて聴いたクラシックのレコードが、ショルティ/シカゴ響のマーラーの《復活》、それと中3のとき、渡邊暁雄/日フィルの《復活》をナマで聴く機会も。もう、とてつもない曲で、しびれましたね。この世のものとは思えない音楽。それで、オーケストラをめざしたいな、と。高校時代はオーケストラに所属していたんです。

 

何故ヴィオラを?

 

公立高といっても、ヴァイオリンは小さい頃から習っていて上手い子がけっこういたんですよ。その点ヴィオラならライバルが少ないかな、と。ヴィオラ・パートに可愛い先輩がいた、というのも大きいです。いずれもかなり不純な動機です(笑)。

で、オケをやりつつ、学校祭の有志合唱の指揮をしたり、合唱部のエキストラで歌ったりしていたんですね。大学でも最初はオーケストラに入ったんですが、1年生はステージに上げてもらえず、つまらんなあ、などと思っているうちに、ここでも不純な動機(笑)で合唱団に転属してしまったんですよ。大学の合唱団では学生指揮者でした。

カワイに入った後「第九」の楽譜を営業した際に「東響コーラス」(東京交響楽団の合唱団)でも歌いました。秋山和慶さんの指揮です。高校時代の仲間に誘われて、関屋晋先生が指導する松原混声合唱団に入ったのが社会人2年目でした。「晋友会合唱団」のメンバーとしての初舞台はメンデルスゾーンの交響曲第2番《讃歌》。そして小澤さんの指揮でベルリン・フィルの定期で歌うことになった訳です。メシアンの《アッシジの聖フランチェスコ》の日本初演も小澤さんの指揮で。そんな時代に松原/晋友会に入った訳です。

 

アマチュアとしてオーケストラ、合唱をやってきたことが職業の選択にも?カワイ出版は合唱楽譜でとても有名ですね。

 

職業として、とにかく音楽に関係する仕事はやってみたかったですね。オケの事務局や、音楽事務所にも就職活動しましたが、結果としてカワイに。面接で「入社したら合唱関係の仕事をぜひやりたい。」と伝えました。たまたま会社としても、合唱を志向する新人が欲しかったんだと思います。

弊社の前身は、河合楽器製作所の子会社として創立されました。作曲家で合唱作品も多く残している清水脩さんが初代社長です。一度倒産したんですが、いずれ楽譜出版事業を再開するだろうと、髙田三郎、中田喜直、石井歓、大中恩、湯山昭さんらが作品を引き上げず、カワイに権利を残して下さったんです。それが今の会社の礎となっていて、じっさい合唱分野は出版点数、売り上げともにメインの位置を占めています。

 

印象に残る作品

三善晃さんが、生前最も信頼を置いていた編集者のひとりが早川さんだと伺いましたが。

 

入社1年目に、三善晃先生の《ぼく》(3群の混声合唱とピアノのための作品。詩は谷川俊太郎)を担当しました。三善作品の担当はこれが初めての経験でした。

先生から手書き楽譜を受け取ったんですが、混声四部合唱が3群だから12段、それにピアノが2段ですから、楽譜が非常に複雑なんですよ。もし浄書屋さんに渡してうまくレイアウトできなかったら、全て作業が手戻りになってしまいます。当時は浄書も烏口と判子の手作業でしたからね。なので、まず自分で先生の原稿を手書きで書き写して、うまくページに見やすく収まるかレイアウトを検証したんです。先生がえらく驚かれて、声をかけて戴いたのが思い出です。

新人で十分に時間をかけて仕事をさせてもらえた、というのも大きかったですが、この作業を通じて、三善先生の楽譜の書き方のクセを勉強できたように思います。もし先生が私を信頼して下さったとしたら、このことがきっかけだったかもしれませんね。

 

自分のなかでの変化

カワイで25年、そして最近では合唱指揮者としても活躍されていますね。そういった仕事の経験から、自分のなかに何か変化は?

 

カワイの仕事を続ける傍ら、2000年、おかあさんコーラスの指導を初めて経験しました。そして静岡県の伊豆で、合唱団を指揮する機会をいただきました。そこで変化が起きたと思います。それまでは、コンクールの金賞受賞団体が歌う曲、言い換えれば「コンクールで勝てる曲」がいい作品なんだ、っていう価値観を持っていました。編集者としても個人的にもね。その価値観が打ち砕かれてしまった。

指導者としての経験を通じて、初心者の底上げと、そういった人たちを指導する指導者の底上げ、その両輪がないと、合唱界というものの持続もなければ進歩もないんじゃないか、と思うに至ったんです。

204三善晃さんの自筆原稿ぼく

(三善晃さんも自筆楽譜「ぼく」(1987)詩/谷川俊太郎

その変化が、カワイでの仕事にもフィードバックしていると?

 

まず「指導者の底上げ」、それがあってこそ合唱団の底上げがあると思うんですが、これについては《合唱エクササイズ》という教材開発に取り組んでいます。

それともう一つ、初心者が歌える質の高い合唱作品の出版することですが、実はこれが一番難しい。二声部、三声部のシンプルで音数が少なくて優れた曲っていうのは、それこそ作曲家の真の力量が問われるから。少しずつ実を結んでいますが、しかしまだまだ途上です。

204「写譜あなた

早川さんがレイアウト検討のために三善氏の原稿を写譜したもの「あなた」(1989)詩/谷川俊太郎

若い作曲家を、合唱団と出版社がともに支えたい

 

入社時は、まわりの作曲家も詩人もみんな私より遥かに大先輩でしたが、その後、松下耕さんなどの同年代の人たちとの仕事を経て、今では自分より年下の作曲家との付き合いが増えました。歳をとったんですから当然ですけど、これから残された時間で何をやるか?って考えた時に、やはりそれは、次世代の作曲家をどうやって広く知ってもらい、活躍できる場所やきっかけを作れるか。そこだと思っています。

そういう思いをもった最初のお付き合いが、恐らく信長貴富さんかな。信長さんの才能に惚れ込んでカワイから楽譜を出してきた訳ですが、そうこうしてたら音楽之友社さんから《初心のうた》が出た。カワイの社員としてはいかがなものか、という事態ですけど(笑)、自分としては「俺にも作曲家を見る目があった!」っていうことが世間で証明された訳です。いや、とにかく嬉しかった。いいなと思える作曲家の作品が世に出るのであれば、どこの出版社からでもいい、と個人的には思うんですよ。

 

その「若い作曲家の支援」が形となったのが「プリミエ・プロジェクト」の訳ですね。

 

若い作曲家に新曲を委嘱し、優れた合唱団が初演する。その演奏会場で楽譜を販売。演奏会のCDも制作するという形で作曲家を世に出す。そういうプロジェクトです。09年に大阪で立ち上げ、名古屋、東京と開催してきました。次回は17年に東北で開催を予定しています。このプロジェクトには、東北の力のある合唱団がぜひ参加して戴きたいですし、カワイだけでなく他の出版社もどんどん参加してくれたらと思うんです。

 

単なる楽譜セールスというより、もっと根源の部分、合唱音楽が書かれ、歌われる土壌を耕す、ということでしょうか。

 

会社の上層部もこういった取り組みを支持してくれています。楽譜が売れるのをただ待っているのではなく、そういうところにこそ出版社の使命があると思うんです。出版社が「我が社は…」と言っているのでは、ただでさえ少ないパイを奪い合っているだけです。会社の垣根を越えて、同業の若い編集者たちにノウハウを伝えたいです。志を共有できたらいいなと。

 

「つながること」に貪欲であれ

 

若い世代の編集者に伝えたいことがありそうですね。

 

編集っていう仕事は、ある種の職人仕事ですが、最初にお話したような作業は、マニュアル的にできる部分がかなりある。私じゃなくたって誰だって出来ると思うんですよ。じゃあ自分でなければ出来ない仕事って何なのか?と考えたとき、それは「情報」、人とのコネクションが8割を占めるかなと思います。とにかく会って、直接話をするっていうことを厭わないことですね。

今は電子メールでそれこそ原稿のやりとりまでできますから、一回も作曲家と会わなくたって楽譜はできちゃうんですよ、極論すると。それって確かに精神的にも楽かも知れないな、って思うこともある。でも、そうじゃなくて、やはり人と会うことに貪欲であってほしい。若い作曲家は私を利用して、踏み台にしたっていい。ただし、編集者はそうして種をまいても、収穫を得るのは5年後10年後かも知れない、ということも同時に意識してほしいなと。

「売れる作品」がいい作品なんだ、と思ったらそれは編集者としては失格で、大切なのは「自分がいいと信じるものを世に出す」っていうことです。結果的にそれがたくさん売れればいいのはもちろんですけれど、そのためにも「どれだけ広がりを持てるか?」と、常に考えることこそ、編集者の才能だと思うんですよ。

 

《歌おうNIPPON》のこと

社会のなかで広がりを持つ、っていうことでいうと、東日本大震災の復興支援プロジェクトに取り組まれましたね?信長貴富さんの「ワクワク」とか、松下耕さんの「ほらね」、それにKen-Pさんの「前へ」とか、とても素敵な歌が生まれました。

 

「つぶてソング」を始め、合唱関係でもいろいろな復興支援がありました。じゃあどうやって自分の仕事でそこに関われるか、って考えた末、作曲家に声をかけ曲を書いて頂き、無料ダウンロードして歌えるようにしようと。そしてその演奏をカワイのHPで配信し、被災地の方に見て頂こうと。それが心の支えになったり、何かの喜びにつながれば、と。

天災や原子力災害という出来事の悲惨さを直接的に描くよりも、できたら、そこから立ち上がろうとする人たちに元気を、という未来へ向かうような歌を書いて下さい、とだけ作曲家の皆さんにお話ししました。また、歌うのも録画するのも、すべて自主的な行動であって欲しいと思いました。

今から30年後に、震災を知らない子どもたちがこの曲をダイスキな歌として歌ってくれてたら嬉しいなあ。教科書で震災のことを知るんじゃなくて、歌ってみて、その歌が何故生まれたかを知るなら、それはとてもリアリティのある形で「震災の記憶を伝えること」になるんじゃないかと思ったんです。

実は就職活動中の時代からのことですが、「プロデュース」という仕事を本当はやりたかったんですよ。しかしこういう話をしてるうちに、「楽譜編集者」の仕事の話からどんどん逸脱しちゃってますよね(笑)

いや、音楽を通じて「世の中を編集する。」っていうことですよね。立派な編集の仕事だと思いますよ。

204印刷したあなた

完成した印刷楽譜「あなた」(1989)詩/谷川俊太郎