東京を歩き始めたころ
合唱指揮者 藤原規生
「随分と便利になった」最近つくづく思う。誰もが携帯を持ち歩き、その携帯が時には地図になり、時刻表になり、辞書になり、手紙(メール)も送れ、ゲームも出来る。
音大生として東京に上京したのは、かれこれ〇〇年前。その頃は、独り暮らしのアパートには黒の固定電話。グルグルのコード付き、まだFAXも留守電の機能も子機もなかった。学生時代のうちに電話はどんどん軽量化の方向に移行し、様々な機能が生活と共に活躍し始め変化していった。重い辞書での調べ物は当然、大学や機関の図書館に出向き、あれこれ書き写し調べたもので、その頃のノートは自己流ではあるが、自分で調べ理解した実感を伴い、何だか誇らしいものがある。演奏会にもよく出かけた。音大の学内の演奏会(主に無料のものから)を始め先生方のリサイタル。聴く機会を見つけては自分の足で歩いた。美しい曲、歌ってみたい曲、知らない曲に出会うと、翌日は音大の図書館で楽譜を探し、コピーした楽譜はスクラップ帳に貼った。さながらお手製の歌曲集であった。合唱のコンサートは都連の会報やハーモニー、教育音楽(音楽之友社)等のコンサートガイドを頼りに出かけた。有難い情報源であった。ネットのようにいっぺんに素通りしていく感覚ではなく、自分の目で探し、マーカーをつけながらのアナログな演奏会探しも日々の楽しみであった。
感動したコンサートでは、楽屋を訪ねお話を聞いてみたり、ご縁が出来れば手紙もお送りした。憧れの諸先輩方はいつも優しく、道を開いて下さった。
大学の近くには大学直営の楽器屋があり、学校の帰り道、よく立ち寄り、所狭しと並ぶ楽譜や書籍、CDを順繰り順繰り手にしては、未知なる世界に心ときめかせた。苦学生ではなかったが、限られた仕送りで生活し始めた1・2年生の頃は、レッスンや授業で使う楽譜や書籍以外は、なかなか買えなかった。量も種類も、地元の楽器屋さんよりはるかに多い棚を見つめては、いつか演奏したいと思いを強くした。とりわけ小学生の頃から始めた合唱の楽譜は心の拠り所でもあった。聞いたこともない楽譜が目の前に。楽譜の巻頭言(作曲家や初演に関わった指揮者など)の文章、心躍る音、巻末の歌詞のページ。お気に入りのものであってもすぐには買えないので、そっと棚に戻す。誰かが自分より先に買いませんように!翌日も立ち寄っては同じことを繰り返す。レッスンの先生からコンサートのお手伝いなど音楽に関することでいただいた貴重な収入で、その楽譜を買った時の思い出は色褪せない。今も我が家の楽譜の棚でピカピカの面持ちで存在感を放つ。
便利さとスピードと情報に溢れる今日。ゆっくりと自分の足で歩ける速度で、自分の進むべき道を楽しみながら、の初心を忘れてはならない、つくづく思う。それは限りない出会いの喜びでもある。まさに私のANDANTE。