8.児童養護施設へ
2014年12月16日、12台目となるピアノを贈呈するため、福島県石川郡玉川村の社会福祉法人ゆめみの里を訪れました。こちらは児童養護施設で、保護者に恵まれない子供たちを素晴らしい環境の中で育ててゆくために新設された施設です。
震災とはあまり関係がないかもしれませんが、被災地域の音楽による教育の一助になればと感じました。
早速贈呈したピアノを使ったコンサートも開かれました。
7.岩手県の公民館へ
2014年11月27日に行った11台目のピアノ贈呈先は初の岩手県、初の公民館でした。
地域の人々が自由に使える場所への贈呈は当初からの大きな目的でもありました。
気仙郡住田町の下有住地区公民館は木と布のぬくもりのある素敵な建物でした。
ピアノの贈呈には住田町の菊池教育長が立ち会ってくださいました。
すぐ近くには津波で甚大な被害のあった陸前高田からの避難者たちの仮設がありました。
未だ多くの人がここで暮らしているとのこと。
その後、川沿いを下り陸前高田の今を見せていただきました。
全体の土地をかさ上げする為、山を削り、巨大なベルトコンベアーで土を運んでいます。
その一角に「奇跡の一本松」がありました。
松はすでにレプリカですが、その足元には今なお当時のままの壊れた建物がありました。
6.福島県いわき市 久之浜第一幼稚園にピアノ贈呈
2014年5月22日、通算10台目となるピアノの贈呈のため福島県いわき市の久之浜第一幼稚園を訪れました。この園は本来その名の通り海から近いエリアにありました。しかし震災と津波で園舎がダメになり、同系列の平第一幼稚園へ間借りをしている状況です。
新しい園舎での再建はまだ明確に時期が決まっていませんが、それを目指して活動しているそうです。
本来園舎のあったエリアはようやく基礎の掘り返しが始まった状態
久之浜第一幼稚園は震災時結果的に一人の園児の命も亡くさずに済んだそうです。
青木園長をはじめとする先生方の判断が良かったのですが園長は「運が良かった」とおっしゃっていました。
ちょうど園児たちがうちに帰る時刻だったため、すでに一部の園児は保護者のもとに帰っていました。そのため通常の避難訓練で行うような「全員を確認」するのがとても困難だったそうです。訓練の在り方についても考えさせれるお話でした。
こちらに少し詳しい話が載っていますのでご一読ください。
5.宮城県七ヶ浜町立七ヶ浜中学校にピアノ贈呈
篤志家の方から比較的新しいグランドピアノを活用してほしいとご連絡をいただき、急遽引き取り、贈呈が決まり、2013年12月27日(金)に七ヶ浜町を訪れました。今回訪れた七ヶ浜は2012年7月に訪れた多賀城のさらに先、その名の通り海に突き出した場所に位置し、沢山の浜に囲まれた土地です。
贈呈先の七ヶ浜中学校は高台にあるため津波の被害は免れましたが、校舎が震災で使えなくなり、当初は町内の向洋中学校に間借りをし、そののちから現在に至るまで仮設校舎が使用されていました。訪れた時は校舎の取り壊しがようやくおわり、基礎工事の真っ最中。2014年の11月に新校舎ができ、そこの多目的スペースに今回のピアノを置いてくださるそうです。
学校のすぐ脇には仮設住宅が広がっており、ここだけで250戸あるとのことでした。
当日は冬休み中であったため、校長先生、教頭先生、音楽の担当の先生とで贈呈式を行いました。
また、その日部活のために来ていた吹奏楽部の生徒さんが、「大切なもの」という合唱曲を披露してくださいました。
今回の贈呈では初めて仮設校舎や仮設住宅を目の当たりにしました。今年の3年生は一度も本来の校舎で学ぶことなく卒業していくそうです。震災から間もなく3年。まだ爪痕はそこここに残っていました。
4.福島県相馬市の小学校・幼稚園にピアノ贈呈
3.の宮城県多賀城市につづき、福島県相馬市の小学校・幼稚園にピアノを贈呈するため2013年9月26日に福島県相馬市を訪れました。かつては東京からは常磐線で海沿いを通って行けた相馬市ですが、震災被害により相馬市から宮城県亘町にかけてが、原発事故の影響で双葉町から南相馬市にかけてが不通になっているため、現在は福島駅からバスで山道を1時間半かけていきます。
現地についてまずは相馬市教育委員会教育長の堀川氏を訪ね、相馬市の様子や学校での合唱・音楽事情についてお話を伺い、目録を贈呈いたしました。その後、贈呈対象である小学校で贈呈式を行う予定でしたが、運送屋のトラブルにより、なんとピアノが届かない。持ってきた目録を校長先生にお渡しし事なきを得ましたが、ピアノが学校に入る様子を見ることができなかったのはちょっと残念でした。(相馬市立日立木小学校及び併設の日立木幼稚園、山上小学校の3か所に贈呈を実施しました)
今回の贈呈に際しても、日本ピアノ調律師協会の大谷照夫さんや中古ピアノ販売の浜名楽器さんなどに多大なご協力を頂きました。感謝いたします。
堀川教育長へ目録を贈呈する大山事務局長
また、贈呈に先立ち、昨年同様地元の調律師さんに周囲を案内してもらいました。相馬市も津波被害は大きく、ちょっとした土地の起伏が、建物の状況をはっきりと分けていました。低地では建物が一切なくなっており、基礎のコンクリートを掘り返し積み上げられていますが、高台になっているところは建物がそのまま残っていました。印象的だったのが港です。原発事故の影響により、操業ができない日々が続いているため、港には出航できずにいる漁船がたくさん係留されていました。
掘り返され積まれている家の基礎 | 操業できずに係留される漁船たち | 小学校の校庭に設置された線量計 |
贈呈を終えた後、事務局次長の三好は南相馬の友人を訪ねました。相馬市は原発関連の規制が出たことはありませんが、南相馬は立ち入り禁止区域などを抱えていました。その差は大きく、相馬では稲穂が小金色に染まり風に揺れていましたが、南相馬では作っても売れないため全市で作付を行わず、田んぼはそのまま放置されていました。
原発事故後、長らく立ち入り禁止となっていた区域では、片付けを十分に行うこともできなかったため、震災や津波被害が生々しく残り、放射能を帯びた瓦礫を袋詰めにし、どこへも持ち出せず山と積まれているところもありました。
また、津波被害のなかった地域も、人の立ち入りができなかったためゴーストタウンと化しており、中でも駅の駐輪場にはあの日通学のために出かけて行った高校生たちの自転車が並べられたまま放置されていました。
ぽっきりと折れ、流されたコンクリート製の遊歩道 | あるはずのない位置にある自動販売機 | 震災と津波の被害後、原発事故の影響で立ち入り禁止になったため、片づけることもできないままの家 |
放射能を帯びた瓦礫が黒い袋に詰められ、行き場なく積まれていた | いたるところに流されつぶされた車が放置されていた | 「あの日」高校生たちが通学のために駅に停めたままの自転車 |
テレビなどでは情報が少なくなり首都圏でこういった光景を目にすることは確実に減りました。被災地も多くの場所で確かに復興は進んでいます。しかし、一方で依然としてはっきりとした爪痕が残っているのも事実です。
これから東京都合唱連盟としてどのような支援ができるのか、みなさんからお預かりしている義捐金を有効に活用する方法を協議し、被災地に届けていきたいと思います。
3.宮城県多賀城市などの幼稚園・保育園にピアノ贈呈
この義捐金は応募開始当初より、「音楽が出来なくなってしまったところに再び音楽を」とピアノの贈呈を一つの目標としてきました。ですが、現地の連盟や自治体などに問いあわせても、実態が把握しきれていない、ピアノが壊れるほどの被害にあったところの多くはまだ建物が出来ておらず、受け取ろうにも受け取れない、などの理由により贈呈先はなかなか見つかりませんでした。
そんな折、金川東京都合唱連盟理事長のご紹介で日本ピアノ調律師協会の大谷照夫さんのご協力をいただけることになり、大谷さんより調律師協会の東北支部へと連絡、支部で贈呈先を見つけてもらうことが出来ました。
同時に大谷さんよりピアノの再生・中古販売をしている浜名楽器さんをご紹介いただき、贈呈するピアノも確保。この浜名楽器さんには、ピアノの価格・防振ゴム・輸送費など、さまざまな点でご協力をいただきました。
2012年7月5日(木)、大山事務局長と、三好事務局次長とで宮城県を訪れ、贈呈式を行ってきました。
贈呈式に先立ち、地元の調律師さんのご案内で、多賀城市よりさらに海よりの七ヶ浜町を訪れ、海岸へとご案内いただきました。
波で削られたコンクリートの代わりの石積み。僅かに残る塀やタイル。大きく陥没した地面。1年以上の時を経て尚のこる大きな傷跡。震災前と変わらず咲く花。その光景にただ言葉を失うのみでした。
贈呈式は多賀城市の桜木花園幼稚園にて行われました。
ピアノが設置される2階の講堂に園児が集まり、先生の司会にて式は進行。
地元の市議さんによって今回の経緯が説明され、大山事務局長より園児に目録を贈呈。
園児からは御礼の手紙が手渡されました。
手紙を受け取る大山事務局長
その後、贈呈したピアノを使って園児達の大合唱。
元気な歌声が響き渡りました。
最後は園児とハイタッチでお別れ。
子ども達の笑顔溢れる素敵な贈呈式となりました。
海から近いこの幼稚園では、津波により1階が冠水。1階の各教室にあったピアノがすべてダメになってしまったとのこと。
現在それらの教室には電子ピアノが入れられているが、「全員が集まるところでは本物のピアノで演奏をしたい。」と講堂への設置を決めたそうです。
今回、桜木花園幼稚園のほか、あかね保育園、八幡花園幼稚園、柏幼稚園、第2柏幼稚園の五つの園に贈呈させていただきました。
5台のピアノと現地調律師による調律代、合わせて1,410,000円を使わせていただきました。
2.東北復興大合唱祭への資金提供
東北の合唱団73団体、約1100人が一堂に会し、「東北復興大合唱祭」が、2012年4月30日に東北大学百周年記念会館・川内萩ホールにて開催されました。
東京都合唱連盟ではこのイベントに義捐金から50万円を運営資金の一部として提供いたしました。
1.2011こどもコーラス・フェスティバルに出演したMJCアンサンブル(南相馬市)への支援について
東京の世田谷で行われた2011こどもコーラス・フェスティバルには、先の震災で被害の大きかった地域から三つの合唱団(茨城県鹿島市、福島県郡山市、福島県南相馬市)が参加することが決まっていました。いずれの合唱団も当初の予定通りフェスティバルに参加することとなったため、東京都合唱連盟では該当する三つの合唱団に状況を確認しました。
いずれの合唱団も一時的に練習会場が使えないなどの苦労はされていたようですが、郡山と鹿島については5月には状況が改善されていました。ですが、南相馬市のMJCアンサンブルだけはピアニストを含め県内外へ避難している団員が多く、揃っての練習が全く出来ない状況であるとのことでした。
そこで、当初より一日早く大会前日の金曜日に東京へ来てもらい、練習場所と宿泊費を提供することで、全員の揃った練習時間を少しでも確保してもらうこととなりました。練習会場は世田谷区よりご提供いただき、義援金より宿泊費として20名分133,620円の補助を行いました。
8月5日(金)に世田谷区のご協力で会場を提供してもらい練習。団員と久しぶりに顔を合わせたピアニストからは「久しぶり、元気だった!?」の声が。