好きこそものの上手なれ

 

合唱指揮者 石橋遼太郎

これは私の座右の銘…というよりは、私の人間性をそのまま表したような言葉である。
三日坊主で自堕落な私は、恥ずかしながら「好きにならなければ何もできない」のである。
母親に教わったピアノも、勉強も、ゲームでさえもまともに続いた試しがない。
そんな私がほぼ唯一愛し続けられた(そしてそれは今後も一生涯続いていくであろう)ものが「合唱」だ。

合唱を好きになった原体験は高校1年生のとき。
新入生歓迎会で各部活動の発表を見る機会があり、そこで聴いた合唱部の演奏が今でも忘れられない。
空まで届いていきそうな伸びやかな声に、こちらが圧倒されんばかりにあふれる表現することへの喜び。
…なんだこれは。なんかかっこいいぞ!それまで野球しかしてこなった私が合唱を始めることを決意した瞬間である。

音楽にのめり込むようになった過程で学んだことがいくつかある。
一つは「音楽を好きになろうと努力する営みにも価値がある」ということ。つまり音楽も恋愛と一緒ですべてが一目惚れというわけではないということだ。
私は高校から大学時代にかけて、持っている「ウォークマン」に様々な時代・ジャンルの音楽を入れて聴き続けていた。
パッと聴いて好きと思えなくても、この作品の魅力はなんだろう、名曲とされる作品ならばなぜ人々に愛されているのだろう、と思考し理解しようとする時間は自分の器を広げてくれた。
そしてもう一つ「なぜ自分にとってこの音楽が魅力的なのかを分かる」ようになれば、自分らしい音楽を形成してくれるということ。
こういう和声・メロディーだから好き、この合唱団はこういう観点を大切にして歌っているから好き…自分の「好き」の蓄積は、指導者になるきっかけであり、自分の音楽性の土台になっていると信じている。

そして現在、指揮台に立っているときは、歌い手の中に「好き」がどこにどの程度あるか?を音から感じ取り、必要に応じて私の「好き」にも共感してもらい、最終的にそれらの「好き」をもってアンサンブルすることとを心がけている

…作品の魅力がわかっている・共感できていることが表現への第一歩と感じるため、まさに「好きこそものの上手なれ」という言葉の重要さを感じる日々である。

音楽はあらゆる「好き」を受け入れ、それを広げてくれるだけの深さと裾野の広さがある世界だと思っている。
ぜひ音楽への愛で満たされる人が増えますように!