一度の本番より・・・

指揮者・声楽家 吉田宏

いろんな合唱団がある。中高の部活動、大学合唱団、若い社会人の力ある合唱団から人生の大先輩の合唱団まで。

そして合唱団に集う理由や歌い続ける理由はきっとまちまち。「私が歌う理由(わけ)は」という歌い出しに合唱人は一度はハッとしているのではないかと思う。

私は中学で合唱に出会い、高校大学とどんどんのめり込んでいった。ずっと心にあったのは「上手くなりたい」という漠然とした思いだった。どちらかというと認められたいという承認欲求だったと思う。そんな気持ちを重ねながら職業的に合唱に関わるようになって、いつしかその気持ちは薄れていった。

なぜ薄れたか改めて考えると、二つの理由が思い当たる。ひとつ目は色々な活動を知ったこと。それまでは同世代でコンクールに特化した活動が合唱だった。その世界の外にあったのは、合唱とは週に一度家から出て(おめかしをして!)人と笑いあい、お菓子交換をして、歌うことが人生の楽しみという方たち。常に「人の輪」があり、意識が他者に向いている時間の尊さを知った。

もうひとつは、音楽の面白さが少しずつわかるようになってきたこと。合唱だけでなくオーケストラも振るようになったり、ポップスの合唱編曲を演奏したり、よりいろんな角度から音楽を観られるようになり、興味が膨らみ好奇心が刺激された。

「本番」は舞台に上がって、ライトを浴びて、拍手を受けて…。それ自体が「承認」だ。立てばお客様が認めてくれる。とても楽しい、やめられない。

それに対して「練習」はあまり承認されない。たまに褒められても基本は指摘。自分の好きでやってるのに報われない。よくある。

けれど、仲間と笑いあうことや良い音に出会うこと、その良さを知る瞬間は練習時間だ。そもそも本番より練習の方が長いし回数も多い。人と対話をしながらいろんなことに出会っていく瞬間は「練習」にある。

友人の言葉の「音楽は何をやるかじゃない、誰とやるかだ」は私の中でとても大切な言葉だ。一期一会な合唱も楽しいけど、深まっていく楽しさは誰とやるかによって変わる。実際に同じ曲でも時と合唱団を変えて演奏すると、違った楽しさになる。だからこそ、一度の本番よりも練習が大切と言うことはあり得てもいいのではないか。同じ釜の飯は食えなくても、同じ空気を吸って吐く時間をもっと大切に。そこにもっと大きな楽しみと喜びが見つかるかもしれない。

それはひいては機械学習に代わられることのない、人間の活動のヒントになったりしないかなぁ…と思うのは話が大きいでしょうか。