日ごろ私たちがテレビ、ネット、それにCDやDVDディスクで耳にする「音楽」を記録する3人のエンジニアにお話を伺いました。録音の技術や、「録音芸術」についての考え方はそれぞれですが、伺ったお話のなかに共通していたのは、若い時の音楽体験のこと。そして学校生活の思い出となる「音の卒業アルバム」のこと。レコードというのは、いわばタイムカプセルなんですね。
なお本紙ではスペースの制約から、伺ったお話のほんの一部しか掲載できませんでしたが、web版ではノーカット版を。そしてみなさんの合唱活動にも役に立ちそうなワンポイントアドバイスも掲載予定です。そちらのほうもご期待ください!
Part1◆今泉徳人(いまいずみ・なると)さん
有限会社日本アコースティックレコーズ 1962年生まれ
日本ビクターでのエンジニアの仕事を経て、「コンサートホールで生音を録る」ということを特色とするインディーズレーベル「NAR」を立ち上げたんですね。
コンサートホールは、それぞれ固有の響きを持っています。そこで演奏をすると、演奏家の直接音と、ホールの響き、すなわち間接音の両方が聴こえる訳ですが、ホールの個性というのは、この直接音と間接音のバランス、「直間比率」と呼んだりしますが、その比率がまずある。さらに、音の質が加わって構成されているんです。
コンサートホールでお客さんが聴く音楽は、この「直接音」と「間接音」の訳ですが、実はこれに加えて、「聴き手の心のなかのイメージ」というものがあって、それはもちろん一人一人違うものですが、コンサートホールの体験というのは、とにかくそういう個人的な要素も含まれている。
ということは、CDの録音というのはそういった「聴き手のイメージ」を除いた、客席で実際に聴こえる音のみを取り出しているということでしょうか?
いや、あえて言うと、聴き手のイメージを「聴き手の代表」として録音していると捉えるといいでしょうか。そのイメージは聴き手によって千差万別である訳ですが、エンジニアなりに冷静に、客観的に判断して、この「イメージ」というものを選び取る。そのための専門的な技術が、レコーディングエンジニアの技術です。更に、演奏家側にも「こう聴こえて欲しい」というイメージがあります。それらを高い次元で結び付けようと努力し続けているのが「NARレーベル」です。
合唱音楽に限ってみると、今泉さんにとっての「聴き手のイメージ」というのは?
まず、やはり歌というのは歌詞が命なので、言葉が明瞭に聴こえる、ということは重要ですよね。ただ、ここが難しいと思うんですが、例えば邦楽や演芸用のホールで合唱を演奏すると、いくら言葉が明瞭であっても、音楽としての膨らみとか質感がやはり決定的に欠ける、というケースが多いです。それと、同じ合唱曲であっても作曲家によって言葉の位置付けが微妙に変わってくるように思うんです。高田三郎さんの作品のように、まさに言葉が命、というものもありますし、鈴木輝昭さんをはじめ、器楽的に声を使う作品もありますよね。言葉の明瞭さと器楽的サウンド、どちらを優先するか、どうバランスをとるかは重要で、そのバランスの調整のために、どういうマイクをどこに置くか、という試行錯誤を重ねる訳です。
コンサートホールで合唱をどう録るか、という技術については、日本ビクター時代の、スクールコーラスの録音経験が自分にとっての糧になっていると思います。全国各地の学校や児童合唱団を、現地のホールで録音する仕事でした。でも、実のところ、中学生の合唱を録っていると、ア・カペラの演奏だといい感じなのに、合唱とピアノのバランスの取り方について、とても難しく感じることが多かったんです。ひょっとして合唱とピアノって相性がよくないのかな?などと思ったこともあったぐらいです。そんな悩みや試行錯誤の経験も経て、今の自分がある訳です。
ホール録音をメインとする傍ら、古いアナログ録音をデジタル化して復刻するお仕事もされていますね。
ビクター時代から、古い音源のアーカイブをつくる作業を続けていて、その続きなんです。歴史のあるレーベルですから、いろいろな音源が倉庫に眠っていて、落語、邦楽の歴史的な録音もあれば、「中身が何か全くわからないテープ」もあって、とにかくあるものは全部デジタル化しておこう、と。
もともと、私はビクター時代、マスタリング・エンジニアとして採用されたいきさつがありまして。CDのマスタリングについていえば、大元の録音音源を編集し、音を整えてCDの原盤用データに仕上げる、という工程の仕事です。例えば日本ビクターと提携している海外レーベルのアナログ音源を、より良い音質に改善できるところは手を加え、国内盤として再発売する「リマスタリング」という作業も含まれるんですが、そういう昔の音源再発のためのノウハウが買われて、このアーカイブ作りの仕事が私にまわってきたんだと思います。
事務所の部屋で巨大なアナログのテープレコーダーが回っていましたね。
リマスタリングという作業は、「もともとテープにこういう音が入っていたんだろうな」という音を想像して復元する作業といってもいいと思います。もちろん音質もそうですが、なかにはマスターテープの欠損を見つけることもあって、そういうものをひとつひとつ修復していくんです。
それと、アナログ特有の問題として、回転数とかスピードの狂いがある。テープレコーダーには、工業規格があるにはあるんですが、昔の録音では録音の最初と最後でスピードが変わってしまったり、機材によって、あるいは国によって、時代によってまちまちだったりするんです。
これが問題なのは、スピードが狂うと音源本来のピッチではなくなってしまう、ということです。音楽であればピッチの狂いはわかりやすいですが、例えば落語の録音がその典型ですが、ピッチが違うということは、その噺家本来の声色、間合いではなくなってしまうんですね。なので、例えば当時の実演を実際に生で聴いた、という方にチェックしてもらって、ああ、これがまさに当時の声だ、といえるように直していく、そんな作業もあるんです。
文化財の修復作業とか、まるで考古学に近いような作業で興味深いです。
確かに過去の遺産を後世に残す、という仕事です。ただ、この作業に限らず、そもそも「録音」という行い自体、今ある音を後世へ残し、伝える作業に他ならないですよね。そういう意味で、レコーディングエンジニアとして合唱ニュースの読者のみなさんにお願いしたいなと思うのは、「みなさんの演奏を、とにかく録音して残してください!」ということなんです。
まず、自分たちの演奏を客観的に振り返る、ということは、次のよりよい演奏のために必要な行為だと思います。
それと、なにより自分の知らない、遠く離れた人にも聴いてもらえる。そして時間を超えて、ご自分の子や孫の世代にも伝えることができますよね。録音を遺す、ということはそういうことなんだと思っています。(2022.1.20インタビュー)
Part2◆佐藤典雄(さとう・のりお)さん
株式会社フォンテック 技術部 1967年生まれ
どのような経緯でいまのご職業に就かれたんですか?
高校時代は部活でバンドをやっていまして、その時からいろいろなご縁で録音をさせていただいていたんです。そこから、尚美学園の音楽音響ビジネス専門のコースへ。音楽理論、ソルフェージュのようなこと、音響工学、それにレコーディングの実務を学ぶ学校です。尚美のバリオ・ホールやステラ・スタジオのスタッフさんたちに多くの実務を学びました。
ある時、ホールでピアノのレコーディングをしたんです。私は実はウィルヘルム・ケンプというピアニストのファンでしたので、ケンプのレコードみたいな音で録りたい、という目標があったんですが、何回録ってもなかなかそうはならない(笑)この時に、生音を録る難しさを知り、またそれに挑戦したくもなった。
実は当時私は、グレン・グールドのレコードを否定していたんです。彼は、生演奏の舞台からドロップアウトをして、ひたすら録音の編集でレコードを作り込むスタイルに徹する人でしたが、いや、編集という人工的な操作でなく、あくまで音楽は生の演奏が第一なんだ、という思いが私にはあったんですね。グールドの真価、素晴らしさを理解したのはそれから20年も経った後でした。しかしあのうなり声はなんとかならんかなあ、とは今も思うなあ(笑)
自分のオーケストラ録音の体験のなかでは、小林研一郎さんのうなり声が大きいですね。それに飯守泰次郎さんもです。飯守さんが録音のプレイバックをお聴きになったら、「たしかにこりゃあ僕、うるさいな。次は気をつけるね。」と言ってくださったんですが、声を出さないように気遣ってお振りになると、どうも演奏のほうがいまひとつになる。やっぱりうなってるほうがいいね、ということになったりする。いずれにしても、やはりライブ演奏はその時しかない空気感というものがありますよね。
都連の舞台では、いつもソデで淡々と作業をされていますね。ミキサーやレコーダーなどいろいろな機材が並んでいます。
実はアナログのミキサーをいまだに使っているんです。ミキサーというのは複数のマイクで録った音声をミックスし、ステレオの2チャンネルにしてレコーダーに送り出す装置なんですが、いろいろな意味でアナログとデジタルの違いを感じます。
まず、これは道具としての操作性の問題なんですが、アナログのミキサーはすべてスイッチが機械式なので、今どういう設定になっているか、眺めてひと目でわかる訳です。デジタルだと、PCの画面がそれに当たる訳ですが、どうも直感的に全体が見渡しにくいのと、いざ何か切り替えをする、というときに一度メニューから呼び出して、という手順が必要で、どうしてもワンテンポ遅れてしまうんですよね。もちろん、最初からデジタルで勉強してきた若いエンジニアは違うでしょうが。
それと、音の肌合い。やはり「アナログの風味」ってあるんです。デジタルのミキサーだと、どうも冷たいというのか、音が透明すぎて、ホールの空気感が希薄に感じてしまうんですね。レコーダーもそうで、お客様のなかには、アナログの空気感が欲しいので、と、デジタル録音なのに一度アナログのレコーダーを通してほしいという注文があったりします。
1日じゅういろいろな合唱団をお聴きになるわけですが。
録音作業のかたわら、ソデで聴いていて心を持っていかれる瞬間というのは実は合唱連盟の仕事のなかで、たくさんあるんです。最近の経験のなかでも、ア・カペラ、ゴスペルのコーラスなど聴くと、ああ、素敵だなと思いましたし、例えば杉並学院の男の子たちの、ちょっとお芝居が入った演奏など本当に楽しかった。そういう、表現やスタイルの振幅の広さとかバラエティの豊富さが素晴らしい。合唱祭やコンクールって、抽選で出演順を決めるじゃないですか。緻密に組み立てたプログラムではなくて、偶然にああいう演目に出会うわけで。そこがまた面白いと思うんです。
録音は基本的に「3点吊りマイク」で録っていますが、ちょうど客席一番前のあたりの上にマイクがくるので、客席の雰囲気も録りやすいんです。やはり暖かい拍手といった、お客さんの熱量みたいなものは大事ですよね。ライブ録音のよさというのは、そういう空気感があってこそだと思うので。
コンクールや春こん。って、競い合う場でありながら、確かに演奏会として聴いてみてもすごく面白いですよね。
そうなんです。合唱団の方々が客席に座っていますが、一般のお客さんがちょっと少ないような気もして、もったいないな、もっとお客さんが増えたらいいなといつも思うんです。あの楽しさをもっと広く知ってもらえたらな、と。
私たちは会場にブースを出してCDを販売させていただいているわけですが、コロナ禍を経て痛感したんです。やはり、生の実演を聴いていいなと感じた方がCDを買ってくださっていたんですよね。
私たちは、客席の空気感も含めて、生演奏のよさを少しでも残そうと録音に努めています。私たちの生き残りのためにも、ホールに人が戻って、合唱の楽しさを生で感じる人が増えて、合唱がもっと盛り上がっていってほしい。そのために、私たちは出来ることでお手伝いさせていただきたいと思っています。(2022.1.26インタビュー 取材協力:フォンテック映像事業部・第2営業部 伊藤英幸さん)
Part3◆東 主税(あずま・ちから)さん
フリーランス録音エンジニア 1973年生まれ
フォンテックの佐藤さん、日本アコースティックレコーズの今泉さんから、学校教育の録音現場も多いとうかがったんですが、東さんもやはり学校のお仕事を?
はい、合唱や吹奏楽の録音の機会はやはり多いです。校内合唱コンクール等も中学校ではとても盛んですし、教育の一環としても、また3年間の成長の記録となるコンクールや合唱祭の卒業アルバムCDも歴史は長いです。
高校となると、中学ほど合唱は盛んではないようですが、神奈川県立湘南高校の録音は自分の仕事として感慨無量です。音楽の岩本達明先生が、私の高校時代の恩師なんです。それと、以前録音を担当した都立の高校が、合唱がとても盛んで印象的でした。しかも会場が日比谷公会堂なんです。数多くの名演奏も繰り広げられたあの名建築で脈々と歌い継がれていて、それが記録に残る。大人になってその録音を振り返ったとき、何か大切な想い出を抱けでば、というとおこがましいですが、それは大切なことだなと思うんですよ。
何十年後かに自分たちを俯瞰できるように、というのはいいですね。東さんも学生時代に音楽との出会いがあったのでしょうか。
北海道での中学時代はハードロック少年でした。機械好きでもあったので、中学では放送部に入りました。そして高校は親の仕事の関係で神奈川へ越して、県立麻生高校へ。そこの音楽の先生が岩本先生だったんです。当時うちの高校は創立まだ6年目で、先生もまだお若かった。合唱部も10数名だったと思いますが、コンクールの県大会で金賞をもらうまでに引き上げてくださったのが岩本先生です。その後、多摩高、弥栄高、湘南高と、どんどん先生は上り詰めていかれて、今ではカリスマ先生ですよね。
実は岩本先生に関しては、合唱部以前に印象に残る出来事がありました。高1の授業で聴かせてもらった、バッハのオルガン曲です。音量のレンジの広さや音色のバラエティは、まさに衝撃的でしたし、CDを通じて、地球の裏側の演奏でこんなにも心が動かされるのか?と。
というわけで、高2からは、合唱部、軽音楽部、放送部の3つを掛け持ちし、ことあるごとに校内の録音をする機会に恵まれました。それで「録音」というものへの興味がどんどん加速していったんです。学校の前が麻生文化会館というホールでして、そこの音響技術者さんに色々教わりました。
そういう体験で、進路を決められたと。
大学時代は、学校へ行かず録音の独学ばかりしていたんです。自分が所属していた演奏団体に「無料でいいので録音させてくれませんか?」と。録音をし、カセットにダビングして団員に配布する、というような具合です。
まだネットのない時代でしたので、海外の音響技術の教科書、それに専門学校で使うようなテキストとかを読み、CDも聴きまくる日々でした。
少し具体的に、録音、特にマイクの配置のお話をお聞かせいただけませんか?
よくホールで見かける、3点吊りで2本のマイクを使うというのは、「ワンポイント録音」と呼ばれている手法で、これに対して「マルチマイク録音」といって、多くのマイクを使う手法もあります。ワンポイントは最もシンプルで自然ですので、会場、演奏、そしてマイクの位置の3つの条件全てが揃った時には最高の魅力を発揮するんですが、マイクのベストポイントを探すだけで慎重に時間をかけるようなことも時にはあります。理想的ですが非常にハイリスク・ハイリターンな時もあると思います。
私も最初はこのワンポイント志向でした。ホールでの録音は3点吊りが最も手近ですし。でもその一方、難しさにも突き当たりました。さきほどお話した、所属する合唱団での経験が一例なんですが、ロッシーニの荘厳ミサ曲は、ソリストが4人、それにピアノとオルガンという編成でした。これは2本のマイクだけではとても無理がある、と悩みながら、手探りで録っていたんですね。そういう経験を経て自分なりの結論として「適切なマルチマイク」がいい、と思うに至りました。
マルチ方式って、現実のホールの客席では聴こえない、フィクションの音なんですよ。でも演奏の編成が大きくなるほど、埋もれてしまう音が必ず出てくる。それを拾うために補助マイクで補うのは、「音楽を楽譜どおりに伝える」という意味においては、実は決して間違っていないと思うんです。合唱の場合、特に楽譜に書かれた言葉を伝えることがとても重要ですから。
試行錯誤の連続だったんですね。
大学を中退した後は、録音、映像制作の会社勤めや派遣の仕事で、とにかく食べていかねばならなかったので何でも仕事をしました。その一つ一つの経験、ノウハウは今の自分の仕事に生きていますが、本当に録りたいクラシックや合唱の仕事ばかりでは必ずしもない、という苛立ちをぶつけて、いつも仕事先で迷惑ばかりかけていたんです。そして35歳で独立して個人事業主になり14年が経ちました。回り道をしましたが、今、恩師が指揮をする高校生の録音に、プロフェッショナルとして携わることができている。クソ生意気な若造を本気で罵倒してくださった先輩がたがいなかったら、私はただのアマチュアで終わっていたと思います。本当に感謝しています。(2022.1.24インタビュー)