「夢 いりませんか」
ピアニスト・歌手 渡辺研一郎
こんにちは。ピアニスト・歌手の渡辺研一郎です。グレゴリオ聖歌に関する講座や演奏もしております。このコラムを書いているのは2026年の4月。ちょうど今「夢売り」(池澤夏樹 詞/池辺晋一郎 曲)に取り組んでいることもあり、今回は、僕がかつて見た夢のお話です。それは「床を弾く夢」。
~ピアニストをしている合唱団で使っているお部屋。なぜかピアノがない!いつもはあるのに、困りました。ならば・・・と僕は床に座り、床を弾いてみました。鍵盤のある床ではなく、普通の床です。すると不思議とピアノの音が鳴ったのです。僕はなんとか、しかしとても心地よく、その床を弾いていました。~
これは学びのある、良い夢を見たものだと思うのです。あまりにも学びがあったので、僕が教えている国立音楽大学のグレゴリオ聖歌の授業でも、学生たちに話をしたくらいです。
なにより僕にとって、「音程を取る」ということへの重要な気づきがあったのでした。夢の中で弾いていた床には鍵盤がなく、鍵盤の継ぎ目もありませんでした。「どこに何の音があるか分からない」という床でした。ですから「この辺にある音は何?」と音を見出していきました。そして、音と音の距離(音程)も自分で見つけていったのですね。完全5度を見つけよう、オクターヴを見つけよう、と。そこには、「音程を自らの意思で歌おうとする自分」がいたのでした。ここがとても重要でした。音を見出し、音と音の距離を感じ、音程を歌おうとする歌心への気づきとでも言いましょうか。
僕は自分のピアノの演奏を聴く時、「あ、今のオクターヴはオクターヴを弾きたい(歌いたい)とは別に思っていない演奏。オクターヴを “やらされている音” がする。」と感じることは、恥ずかしながらあるのですね。“やらされている音” は、別にやりたくない音の音色、モチベーションに支えられていない音色で、不自然に響きます。なんだか、ありがとうと思っていない人が建前で言っている「アリガトウ」のような、嘘っぽい響きになってしまう。「指任せになっている自分」と「音程を取っていない自分」に気づく瞬間でもあります。では心を込めれば良いかというと、建前の心ではまずく、その辺はなかなか難しいところなのですが。
一方、音楽のモチベーションに支えられた時のオクターヴは、まったく異なって響いてきます。嘘の音だったものが、本当の音になるような。鑑賞に堪える、味わいたい音として聞こえてくるのですね。一音楽家として、そういう音を求めたいものです。
日頃の当たり前が解体され、思いがけず演奏のヒントになった「床を弾く夢」のお話でした。
お読みいただき、ありがとうございました。




