言葉と五線譜のあいだから
作曲家 田中達也
こんにちは。作曲家の田中達也と申します。作曲活動のほか、合唱団ひぐらし(理事団体です)などに所属し、歌い手として都連の行事に出没しています。一昨年からは個人会員としても関わりを持つこととなりました。
普段からテキストのある作品を書く機会が多いこともあり、作業に使うMacの隣にある本棚はほぼ詩集で埋め尽くされています。詩集は発行部数が多くありません。少しでも気になるものがあれば即購入。ネットの書評や「現代詩手帖」などの雑誌で気になったトピックや詩人もチェックします。さらに「作曲しよう!」と思ったら1組曲書くごとに数冊から十数冊の詩集を買い求めるので、スペースがだいぶ限界になってきました。本の置きすぎで1回本棚を壊しているので、いま詩集を置いてある本棚は2代目です。
「作曲はどのように行っていますか?」という質問をよく受けます。直感的なアイデアをそのまま形にする(いわゆる「降りてくる」)タイプではないので、詩を読んで浮かんできた構成を書き留め、そこからメロディの律動と和声の構造を頭の中で考え、ピアノの前で試行錯誤する、というプロセスを繰り返します。言葉の意味にフォーカスしてメロディをつけることもあれば、その言葉が描いている、つまり詩人が見ているものをイメージして音像を見つけだすこともあり、自分の目と耳で言葉を再発見することに合唱作品を書くことの面白さがあると思っています。
ところで、私が好きな藤子・F・不二雄作品のキャラクターに「ポコニャン」の主人公・ポコニャンや「オバケのQ太郎」のO次郎などがいるのですが、彼らは人間の言葉を話さないかわりに「ポコニャン」「バケラッタ」などの一言であらゆる感情を伝え、意思疎通を図ろうとします。短い1フレーズで森羅万象を表現するという、音楽ではなかなか達成し得ないところに彼らの魅力を感じているのかもしれません。
いや、この大AI時代にもしも仮にそのような「発明」が音楽で可能になったら?……私は合唱を「人を信じる音楽」だと考えています。極限まで切り詰められたところからにじむ感情がある一方で、音楽の力はその手前の揺れ、迷いのようなところから生まれるものではないでしょうか。だからこそ、人々がそのような究極の表現にたどり着く日が来ても、そこへ至るまでのいろいろなものをすくい取っておきたい、自分の音で見つけた言葉たちを刻み込んでおきたい。そう思いながら今日も五線譜に向かっています。




