反省点と最近学んだこと

シンガー・ミュージカル俳優・MC・歌唱指導 吉田純也

 

こんにちは!吉田純也と申します。東京都合唱連盟:東京 春のコーラスコンテスト「春こん。」の司会としていつもお世話になっています。毎年各団体の皆さんのアナウンスカードを読むのが楽しみです。今回コラムのオファーをいただき、大好きな歌の世界の皆さんとより交流できるなんて夢のようです。

僕は普段、ミュージカル、ステージショー、コンサート、レコーディングなどの分野に携わっています。自分が歌い演じることもあれば、舞台上で輝く俳優さん達の歌や音楽をトレーナーとしてサポートすることもあります。

早速ですが、駆け出しの頃は「いかに美声で歌うか」「いかに楽譜を正確に歌うか」にフォーカスするあまり「そもそも何を表現したいのか」を蔑ろにしていました。いい音のイメージが具体的ではなかった気がします。内容が無かったと言うか。解像度が低かったです。速度記号・発想記号・拍子・強弱記号など、明らかに目に見えるものを追いかけ、「何故そのニュアンスで書かれているのか?」に言及していませんでした。また単に美声といっても解釈は様々ですし、共鳴値が高い声質でも曲想によっては相応しくない場合があることも知らず、独りよがりの演奏や指導になっていました。曲調によって一定のテンポ内でも絶妙な揺らぎと緊張が生じる「タイム感」「グルーヴ」の存在に気が付かなかったり…反省点、どんどん出てきますね。凹んでしまうので今日はこれくらいにしておきます。総じて、自分の外に正解を求めていた感じがします。

 

今も探求中ですが、最近音楽について発見したことがあります。それは、いいパフォーマンスができた時は「自分の心と表現が一致している」「自分が納得している」「自分に嘘がない」状態だということです。不安や疑問点や不確定要素を抱えたまま演奏に臨むと、予想だにしない結果として演奏箇所に表れてくることを学びました。聴く人はこれを「何となくの違和感」として敏感にキャッチし、解釈の際のノイズになってしまうものだと。自分では気が付かない様々な歌い癖に表れたり、身体の何処かにテンションがかかることでボディバランスが崩れ、余計な意味を視覚的に付与してしまうこととして表れるケースがあります。これを回避する第一歩が「自分の心の声を聞くこと」のような気がします。続きはどこかで!